アトポス

前々作「水晶のピラミッド」と同様にレオナと御手洗の活躍(?)が素晴らしい。着想やトリック、ストーリーの感想は置いておくとして、ここはあえてラストシーンでのレオナと御手洗の会話を紹介しよう。

レオナ「それに、麻薬が悪い一方かどうか。あと五十年経てば、禁酒法時代のウイスキーのような存在になっているかもしれないでしょう?麻薬による快感は、人類の進化に貢献しているかもしれないわ。悟りとか、天才のひらめきとかの本質は何なのか、まだ誰にも分からないけど・・・、あなたなら、この考え方、知ってるでしょう?」
御手洗「もちろん知ってるさ。それに、五大文明の発祥地は、偶然にもすべて大麻や芥子、コカの生育地だよ」
レオナ「そうでしょう?」
御手洗「それは検討に値する考え方さ。だけどいくら利益があるからといって、君は安易にそれにとびついちゃ駄目なんだ。その言い方でいくと、文明の中心地にはすべて売春宿がある。スラムと暴力がある。文明都市を発展させたものは売春の刺激と暴力だったという結論にもこじつけられる。文明は不道徳によって生じるものではあるが、同時にその何十倍もの不道徳を引き寄せるものでもあるのさ」
レオナ「私はアメリカで暮らして十年になるわ。そこで学んだことは、モラルなんて幻想だってことよ。日本でなら、手を伸ばせばそこに存在する現実のように感じられるけど、アメリカでは、世界では、一定の道徳なんてない。力がモラルなのよ」
御手洗「ああ、君もその手の迷路に迷い込んでいるんだね。君のそれは、多くの一般人の思考がそうであるように、結論が先行固定されている。君の考え方には時間の概念が欠如してるよ」
レオナ「時間の概念?」
御手洗「力は常にモラルだった。今はアメリカにおいてそうだが、その前はローマにおいてそうだった。そのさらに以前は、ソドムにおいて、あるいは中国においてそうだった。しかしそれらもいっ時のことなんだよ。嘆くに値しない。ただ君は自分の生涯の時間とひき較べているだけなんだ」
レオナ「・・・よく解らないわ」
御手洗「はっきり言うよ。君が麻薬をやるのは間違いなんだ。どんなに辛かろうと、やめなくては駄目だ。ここではっきりそう勧告しておくよ。だがその理由は、君が予想しているようなものじゃないんだ」
レオナ「道徳観とか、違法だからということじゃないのね?」
御手洗「違うね」
レオナ「じゃあ何?」
御手洗「たった今の君に、理解は無理だ。おたまじゃくしがカエルになるんだと生徒に教えるのは、教室より田んぼのほとりがいい」
               (地の文を省略させていただきました)

アトポス (講談社文庫)

アトポス (講談社文庫)