人生を左右した連続テレビドラマたち

1.横溝正史シリーズⅠ・Ⅱ

2.俺たちの旅

3.刑事コロンボ

4.ウルトラセブン

5.西遊記

6.ミレニアム

7.鈴木先生

※ナンバーは順位にあらず

その他にも「警部マクロード」「スタスキー&ハッチ」「ロックフォードの事件メモ」「池中玄太」なんかもね

 

 

美しき暗殺者

またまた約2年ぶりのブログの更新です。てか、これまでのはブログじゃなかったのですね。ダイアリーというもので、今回はれてブログに移行しました・・・・・・・て、ブログじゃなかったんか!!んじゃダイアリーってなんなんだ!ダイアリーとブログの違いってなんなのはてなさん!!

と意味なく憤慨しましたが、まあいいでしょう。

さてGWといえども日常は何も変わらないので、テレビ放送で録画してあった「ミッション・インポシブル3」と「ミッション・インポシブル・ゴースト・プロトコル」をまったりと観ました。作品内容はともかく(いつもながらカッコよかったですよもちろん)、プロトコルに登場した美しき暗殺者サビーヌ・モローがよい!冒頭のエージェントを暗殺するときの歩く姿がいいのよこれが。この人、フランス人女優のレア・セドゥさん。昨年パルム・ドールも手にしている実力派なんですね(「アデル、ブルーは熱い色」)。納得

追記:パルムドールは本来監督のみが受賞するカンヌ映画祭最高賞なのですが、パルムドールを受賞した作品では他の賞を受賞できないらしく、審査委員長スピルバーグの計らいで特別に主演した二人(アデル・エグザルホプロスと レア・セドゥ)にもパルムドールが贈られたとのこと。それだけ主演二人の演技がすばらしかったということですね。 

 

 

 

 

 

運命の背中

監督出山知樹 2009年自主映画

監督出山知樹の苦悩と悦楽

目から鱗が落ちた思いとはこのことか。「映画をつくる」とはこういうことを言うのだなと。時間がない、予算もない、何もない、のないないづくし。あるのは伝えたいテーマと「映画づくり」への思いと、その思いに賛同する仲間たちの協力。それでもここに一本の映画ができあがる。それこそが「映画をつくる」ということ。感服の至りである。
監督出山知樹はこの「強烈に伝えたい事実とテーマ」の伝達手段として何故“劇映画”を選んだのか。ドキュメンタリー映画として(あるいは再現ドラマを含んだドキュメント作品として)、このテーマを取り上げることはできたはずである。NHKのアナウンサーとしての20年近くに及ぶ彼の経験はそれを十分に可能ならしめただろう。しかし彼は劇映画の手法を選択した。
この作品の製作には考えられる限りの制約が課せられたことは想像に難くない。予算的制約、時間的制約はもちろんのこと、技術的制約、機材の制約、そしてもちろん知識や経験、技量による制約。何よりも「事実」による制約。これらの制約の下に出来上がった作品『運命の背中』には、監督出山知樹の苦悩と格闘の跡がシーンの所々に汗染みのように滲んでいる。
同時にその汗染は出山知樹の悦楽の証でもある。冒頭、遠景がモノクロからカラーに変わる瞬間(大林映画のよう)。字幕による語り。衣装やプロダクションデザイン、特殊効果への挑戦。白いタイルの病室。フラッシュ閃光の暗示、などなど。そして、もっともこの映画を、映画たらしめているシーンはラスト吉川生美さん本人が登場するドキュメンタリー部分であろう。原爆ドーム前の公園で子供たちに語りかける主人公本人の現在の姿が、この作品を「映画」へと昇華させた。逆説的かもしれないが、ドキュメンタリーがフィクションを補強するのである。多くの作品で使われてきた手法である。
さらにカメラは子供たちと生美さんをなめてクレーンアップし(クレーンですよね?)原爆ドームにズームイン、そしてドームの俯瞰でこの作品は終わる。イーストウッド映画みたいではないか。

ラジオドラマ『放送を続けよ』2008年NHK広島局制作

最近はtwitterFACEBOOKばかりでこちらのブログはご無沙汰でした。つまりそれだけ映画やドラマを観てないということなんですが・・・^_^;
で、なぜか今回はラジオドラマです。で、なんでこの映研タグなんだ、という疑問ですが、まあそれはわかる人にはわかる、ということで。
そもそも全国でこのブログを読んでいる人が何人いるか、という問題がありますが(^。^;)

そこでラジオドラマ『放送を続けよ』ですが、本当は本物を聴いて欲しいのですがそれはなかなか難しいと思うので、とりあえず内容は公式HP参照ということで。
平成20年(2008年)「ヒロシマ」特集番組|NHK広島放送局

さて、以下はレビューというか、いつものように徒然なるままの備忘録的雑感です。
まあこのブログは「雑記帳」みたいなものですから。

1)文化庁芸術祭大賞受賞
 さて、いきなりなんですが、どうも避けて通れないと思うのでここからいきたいと思います。上記HPにあるようにこの作品は平成20年度文化庁芸術祭のラジオ部門で大賞を受賞しました。大賞ですよあーた、大賞。一番なんです、一等。どうだ!すごいだろ!・・・と言いたいところなのですが、実はよくわからんのですこの文化庁芸術祭の大賞というものが。すごい賞だとは想像できるのですが・・・。NHKのドラマとか山田太一作品や倉本聡作品などを見てるとたまに冒頭のクレジットで「文化庁芸術祭参加作品」と出てきますな。たぶんこれです。
 どんな賞にしろ(いや、すごい賞だと思いますよ。おそらく国内最高峰の賞でしょう)、コンペティションである以上、賞の選考基準とか他の参加作品を知らなくては、この『放送を続けよ』の大賞受賞の対する評価やコメントはできません。でもね、そもそも映画祭にしろ何にしろ、アカデミー賞エミー賞クラスなら別ですが(人口に膾炙しているという意味で)、賞の選考基準など多くが曖昧でブラックボックス的ですし、またそれぞれの賞が独自の視点と選考基準を内包してこそ、その賞が価値をもつというものでして、選考基準など公表されないのが当然、また他作品を聴きたくても少し古い作品になるとなかなかすぐには聞けないのが現状(オンデマンドとかポッドキャストとかあるらしいのですが・・・)。
 いずれにしろただひとつ僕に言えること、想像できることは、この大賞受賞が『放送を続けよ』に関わった人、とくに企画立案者や制作者、製作者にとっての「報い」いや「救い」になったのでは、ということです。これ決して悪い意味じゃなくて。多くの場合、組織や集団の中にあって、何か創造的な仕事、狭い意味でのクリエイティブな仕事、ありていに言えばフィクションやドラマの創造を成し遂げようとする場合、やはりそれは一個人の想いから出発し、その個人の「想像力」に依拠し、その個人の自己満足へと帰結していくものです。まさに「映画は監督のもの」です。そこにはいろいろな思惑や感情が交錯することでしょう。だからこそ、だからこそ(声を大にして)、賞の受賞はそのような「個人の想い」が「みんなの成果」へと結実した証として大きな意味を持つのではないでしょうか。よかった!と一言。

2)ラジオドラマとは何か
 21世紀のこの時代に、インターネットやらスマホやらTwitterやらYouTubeやら掲示板やら何やらのこの時代に、ラジオドラマって・・・(^。^;)何?みたいな感じが正直なところでは、とも思います。その中では僕自身は比較的ラジオドラマには親しんできたかな〜という想いはあります。今でもはっきり覚えていますが、僕のラジオドラマとの最初の出会いは1979年、中学2年生でした。当時NHK‐FMで「ふたりの部屋」という10分か15分くらいのラジオドラマの番組がありました。たしか月〜金の夜だったと思います。その「ふたりの部屋」で藤原宰太郎作の『拝啓名探偵殿』という謎解きショートミステリーが放送されました(出演は西田敏行初井言榮という当時の青年座新進気鋭男優と看板女優コンビ)。この『拝啓名探偵殿』を皮切りに、その後のNHKで放送されてきたラジオドラマはけっこう聴きましたね。「アドベンチャーロード」での江戸川乱歩作品など。楽しかったな〜あの頃(^^)。携帯もパソコンもインターネットも無い時代、ラジオドラマは今で言う「オタク」的な匂いがして最高でした。でも最近はラジオを聴く機会などほとんどなくて(唯一山下達郎の音楽番組のみ)、もちろんラジオドラマなどほとんど聴いていません。
 だからわからんのですよラジオドラマの良しあしが。やっぱり映画にしろ演劇にしろテレビドラマにしろ、あまたの失敗作、ダメダメ作を果てしなくみたからこそ良い作品、キラリと光る作品がわかるというもの。NHKのHPを拝見するといまだ数多くのラジオドラマが放送されています。これを聴きゃいいんだな、マジで。そうすれば少しは良いラジオドラマ良くないラジオドラマがわかるというもの。でもね、でもね、個人的、あくまで個人的感想ですが、ラジオドラマで1時間を超えるものはちょっと長くないですか?ラジオドラマって意外と聴くのが難しいと思いませんか?音楽番組やトーク、情報番組、ニュースなどは何か他の事をしながら聞けるのです。勉強しながらとか家事をしながらとか車の運転をしながら、とかね。でもラジオドラマはそれが難しい。せいぜい歩きながらがせいいっぱい。ラジオドラマは集中して聴かないと細部の描写や台詞どころか、ストーリーまでわからなくなってしまいます(僕だけ?)。
 尺は15分、せいぜい30分が集中力の限界のような気がします(僕だけ?)。だから「アドベンチャーロード」(現「青春アドベンチャー」)の15分×5回って僕にはちょうどいい尺だったのです。「FMシアター」の50分はきついなぁ。「日曜名作座」の30分が上限か。これはリスナーの生活スタイルと関係があるかもしれませんね。ただじっとラジオの前で1時間というのは若い人、忙しい人にはツライかも(AKB48「私たちの物語」は40分なのね)。つまりラジオドラマは内容がリスナーのターゲット層を決めるのではなく尺がターゲットを決める、てことはないか(^。^;)そもそも今の若い人たち(中高生くらい)はラジオドラマを聴いているのであろうか?全国で一体どれくらいの数の中学生がラジオドラマを日常的に聴いているのかヒジョーに興味がある(意外と多くの若者が聴いているのかも、と想像してみる。アニメ文化の浸透で声優になりたい中高生多いからね)。

3)『放送を続けよ』
 結論から述べる。『放送を続けよ』は日本に住む全中学生高校生必聴のラジオドラマである。芸術祭大賞受賞作品である。文化庁はその権力をして公立私立を問わず日本全国の中学・高校に『放送を続けよ』を必修科目とするべき省令を発するべきである。この作品の尺は70分だがちょうど35分前後に場面転換がある。45分授業二つを使ってちょうどよい。録音CDを無償で配布すべきだ。シナリオをテキスト化して副読本にすべきである。そして全国の中高生の放送部・演劇部の諸君はこの作品を参考にラジオドラマの制作にチャレンジしてほしい。以上!

・・・ということで勘弁してほしいのだけど、駄目ですかね(^。^;)
ダメですよね。なので以下はおまけの戯言です。

 前述したように僕にはラジオドラマの良しあしはわかりません。技術的なことにも明るくありません。素人考えですが、この作品が芸術祭の大賞を受賞した理由は「作品の完成度」などではなく「製作者の強い思い」にあるのではないでしょうか。製作費30億のCGと3Dを駆使した作品でもオスカーをとれるわけじゃない、というのと同じ理由。
 たしかに僕が聴いても「ちょっとあまいな」と思う部分がないわけじゃない。例えば冒頭約1分の藤井陽介の説明的独白。これは尺の関係でカットしたシーンを補完するための苦肉の策なのかもしれないが、あまりに説明的。それと、これは多くの人がツッコんだところだと思うが、藤井陽介の人物造形。というかキャスティングというべきか。残念ながら彼の声質はフツーの中3とは思えない(アナウンサー志望ということで若干の譲歩はできるものの)。ならば演出の妙がここで発揮されるべき。ただしこれが狙った人物造形なら別。でもキャスティングは彼(宮崎一成)しかいないのだろう。なにしろ彼は“ゲン”なのだから。これが「思い」というもの。

不遜ながら脚本や構成の点でさらにいくつか。

・老人となった青木初音に若者が取材に行き、初音の回想が物語をすすめるという、現在―過去―現在という構成をもっと明確にしたらよかったのでは。歴史的事実を題材とする作品で昔からよく使われる手法。存命の老人が歴史の当事者だった、という驚きが若者にひびくはず。映画「タイタニック」や小説「鷲は舞い降りた」などで有名な手法(鷲は〜は史実じゃないけど)。
・タイトル『放送を続けよ』のもつメッセージをもっと明確に的を絞って主張してはどうだったろうか。すなわち「ジャーナリズム魂」みたいなものを。そこを期待して聴くとちょっと印象が曖昧な感じがした。小川放送部長の英雄譚になってはおしまいだが。
・清水さんはどうなった?ちゃんと描写されていたとしたら僕の印象・記憶に残らなかった。ヒロイズムが描かれるとしたら彼女が適任と思って聴いていたのだけど。

演出上の点でいうと
・意図的に明るい印象を演出しようとしたのだろうが、もう少しシリアスでもよかったのでは。
・登場人物が意外と多い感じ。一回聴いただけでは覚えられなかった。デフォルメしてもっと個性を際立たせてもいいのでは(ラジオドラマ慣れしていない僕があまいのか)。
・つまりもっと冒険してもよかったのでは(具体的じゃなくて申し訳ない)。

と、いうような戯言は無視して下さい。そんなに言うならテメーがやってみろよ!という声が聞こえてきますので(^。^;)

 こんな素人の戯言など軽く一蹴してしまうほどにこの作品には「価値」があると思います。誤解を恐れず敢えて言うならそれは「教材的価値」です(優れた教材はエンターテインメント性を具有する、というのが僕の持論です)。実際の出来事を題材としたドキュメンタリーに近いドラマであるということから、そしてNHK広島局の制作であるということから、この作品には多くの芽が地中にうまっています。例えば細かなことですが、戦時中のラジオは聞くためには受信契約が必要だったこと(受信料はどうなんだろう?いつから受信契約なしでNHKのラジオを聴くことができるようになったのか?など調べてみるのも面白いでしょう)。大きな事実としては「なぜ警報は遅れたのか?」という問題。この問題は2011年8月に放送されたNHKスペシャル「原爆投下活(い)かされなかった極秘情報」として結実した。必見のドキュメンタリーである。

 そして何より(これが僕が一番興味をもった問題なのですが)、「放送開始からわずか二十年で放送ジャーナリズムはここまで成熟したのか」という問題です。日本のラジオ放送の開始は1925年。世界で初めて商業放送が始まったのは1920年。つまり日本もほぼ世界基準でラジオ放送を開始していることになる。21世紀の視点からすると放送の重要性、ジャーナリズムの意義、放送局の使命などは理解しやすいのですが、これが60余年前の軍部統制下の日本で、放送人の口から「放送を続けよ」というコトバとして表明されたこと。その意義について考えてみてください。わずか四半世紀の間にジャーナリズムの精神は放送の世界で成熟していったことになる、という理解がこの『放送を続けよ』から生じてくる、はずである。この理解をぜひ学生達に検証してほしい。大学のマスコミ論のゼミかなんかでね。

以上徒然なるままの雑感でした。

さて、これから『運命の背中』を見てみようかな。

金田一耕助

金田一登場作品全77作を小説内の時間軸に沿って事件発生順に追って読んでいます。
現在は昭和26年女王蜂事件を終わって幽霊座事件に。参考はこのMOOK。
それにしても女王蜂が再映画化されないかな〜本当に美しい智子を見たい!
配役は・・・やっぱり今なら武井咲ちゃんかな(^^)
『昭和二十六年五月二十五日をもって、満十八歳になる大道寺智子の美しさは、ほとんど比べるものがないくらいであった。』

僕たちの好きな金田一耕助 (別冊宝島)

僕たちの好きな金田一耕助 (別冊宝島)

ツレがうつになりまして。監督 佐々部清 主演 宮崎あおい 堺雅人

少し前に映画館で観ました。宮崎あおいの体温の映画。それとプロダクションデザインがすばらしい。(宮崎の「ざき」の字は文字化けしてしてしまうのでこれで勘弁して)

ミスティック・リバー 

監督クリント・イーストウッド 出演ショーン・ペン ティム・ロビンス ケビン・ベーコン 2003年アメリカ映画

素晴らしいの一言。やはり今のイーストウッドの新たな出発点がこの作品。
DVD特典のティム・ロビンスケビン・ベーコンによる音声解説も大変興味深い。現代のアメリカの映画制作の現状とイーストウッドの製作手法がわかる。

ミスティック・リバー 特別版 〈2枚組〉 [DVD]

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