運命の背中

監督出山知樹 2009年自主映画

監督出山知樹の苦悩と悦楽

目から鱗が落ちた思いとはこのことか。「映画をつくる」とはこういうことを言うのだなと。時間がない、予算もない、何もない、のないないづくし。あるのは伝えたいテーマと「映画づくり」への思いと、その思いに賛同する仲間たちの協力。それでもここに一本の映画ができあがる。それこそが「映画をつくる」ということ。感服の至りである。
監督出山知樹はこの「強烈に伝えたい事実とテーマ」の伝達手段として何故“劇映画”を選んだのか。ドキュメンタリー映画として(あるいは再現ドラマを含んだドキュメント作品として)、このテーマを取り上げることはできたはずである。NHKのアナウンサーとしての20年近くに及ぶ彼の経験はそれを十分に可能ならしめただろう。しかし彼は劇映画の手法を選択した。
この作品の製作には考えられる限りの制約が課せられたことは想像に難くない。予算的制約、時間的制約はもちろんのこと、技術的制約、機材の制約、そしてもちろん知識や経験、技量による制約。何よりも「事実」による制約。これらの制約の下に出来上がった作品『運命の背中』には、監督出山知樹の苦悩と格闘の跡がシーンの所々に汗染みのように滲んでいる。
同時にその汗染は出山知樹の悦楽の証でもある。冒頭、遠景がモノクロからカラーに変わる瞬間(大林映画のよう)。字幕による語り。衣装やプロダクションデザイン、特殊効果への挑戦。白いタイルの病室。フラッシュ閃光の暗示、などなど。そして、もっともこの映画を、映画たらしめているシーンはラスト吉川生美さん本人が登場するドキュメンタリー部分であろう。原爆ドーム前の公園で子供たちに語りかける主人公本人の現在の姿が、この作品を「映画」へと昇華させた。逆説的かもしれないが、ドキュメンタリーがフィクションを補強するのである。多くの作品で使われてきた手法である。
さらにカメラは子供たちと生美さんをなめてクレーンアップし(クレーンですよね?)原爆ドームにズームイン、そしてドームの俯瞰でこの作品は終わる。イーストウッド映画みたいではないか。